質問すること
p4cは、子どもを頭でっかちで理屈っぽくするだけではないか、 と心配する声を聞いた。そうではない、と言いたい気持ちもあるが、 色々と論拠をあげて説得しようとしても、 距離が広がるだけではないかと思う。 説得しようとするのではなく、p4cを巡る様々な出来事を、 描き出したいと思うようになった。
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p4cでは、たくさんの質問に出会う。例えば、 最初に自己紹介をするとき、毛糸を巻きながら「 最近あった面白かったこと」や「好きな食べ物」について話す。 話し終わったあと、隣に座っている人が、話してくれた人に、 なんでもいいから質問をすることにしている。
なんでもいいから質問してみよう、と言われると難しい。 その日のテーマは、休みの日に何をしているか、だった。 大人の参加者が「何にもしないようにしている」と言う。 隣に座っていたのは小学1年生の女の子。「何にもしない、 をする」の意味がよく分からなかったのだろうか。それでも、 何か質問をしようと必死に考えて、困っている様子だった。その必死に考える様子を見ていると、簡単に「 こういう風に聞いてみたら?」と助け舟を出すことは、 かえって彼女に失礼なように思えた。 相手の努力を台無しにするであろう一言を言いかけて、こらえる。 時間が流れる。どうしたらいいのか、焦りが募るが、 焦りから発された言葉は相手を急かすだけになってしまうから、 苦し紛れに「なんでもいいよ。 今話してくれた内容についてでなくてもいいから・・・」などと、 できるだけ邪魔にならないような言葉をかける。
「・・・どんな服を着てるの?」ふっと、女の子が喋りだす。質問の内容はどうであっても構わないのだ。人がある話をして、 その話に対して質問が生まれる。 質問からまた新しい話が生まれる。
しかし、p4cで数々の「質問」に出会ううちに、 果たして自分は「質問」しているのだろうか? と思うようになった。質問することは、 世界を知ろうとする行為だ。しかし、ぼくにとっては、 そうではない質問ばかりに思われる。むしろ、知るためではなく、 自分の世界をより閉鎖的に、強固なものにして、 自分の殻に閉じこもろうとしているかのように思う。
単に自分自身を大きく見せるため。 自分自身の持っていきたい話題に誘導するため。 自分の意見に同調してもらうため。相手の意見を否定するため。 質問の形をとってはいるが、どれも質問とは言えないだろう。 自分がしていた質問が、実は「質問」でなかったことに気づく。一方で、せっかくの質問を引っ込めてしまうこともある。 そんなことも知らないのか、と馬鹿にされるのではないか。 恥をかくのではないか。相手に変に思われてしまわないか。 場の空気が読めないとレッテルを貼られてしまうのではないか。 周りを気にする不安から次々と質問を消していってしまう。
そのどちらかを繰り返す以外にないのだろうか。 その繰り返しから抜け出す方法を探している。