p4c(=philosophy for children)スケッチ

p4c(=philosophy for children こどものための哲学)に取り組む「アトリエ はちみつ堂」の活動を通じて考えたことを記録していきます。

暮らしの中にある緊張

保護者の方から、子どもがp4cに参加するときは毎回緊張すると言っている、という話を聞いた。その子、S君は1年前くらいからp4cを一緒にやっている。回数でいえば数十回の経験者だと思うが、それでも未だに緊張するという。何十回と同じことをしているのに緊張するというのは、毎回新鮮に参加しているからだろうか。毎回、驚かされるような発言をしているS君だけに、意外だった。

 

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自分自身を振り返ってみると、1年くらい前、まだカフェを借りてp4cをやっていたころは、毎回「参加者が誰もいなければいいのに」と思っていた。緊張感から逃げたい気持ちが、そういう考えにさせていたのだと思う。学校に行きたくないけど、健康そのもので、ずる休みする度胸もない。いっそ台風が来て警報が出てくれればいいのに、と思う小学生の気持ちと同じだろう。

 

それでも何度もp4cを繰り返すうちに少しずつ慣れてくる。すると今度は惰性で、機械的に喋ったり聞いたりしてしまうようになる。そういう時、自分の関心は目の前の相手には向けられておらず、相手はこれまで繰り返してきたパターンを実現するための「駒」になる。自分の思ったように駒が動かなければ、そのことに腹を立てる。あるいは、無理やり動きを変えようと働きかける。相手を尊重する態度とはほど遠い。

 
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緊張というものについて、もう少し繊細になってみようと過ごしてみて分かったことがある。朝一番、出勤して自分1人だけで作業をしていると、社長がやってくる。その瞬間、自分1人だけだった空間に「自分ではない誰か」が入ってくる緊張がある。あるいは、人とすれ違うとき、呼吸が少し浅くなる。仕事か終わって1人になると、ホッと安堵する。職場に限らず、誰かと会った帰り道、歩いていると少しずつ緊張から解放された安心感が広がっていく。そうして自分が知らず知らずのうちに緊張していたことを知る。

 

そういう視点で他人を眺めてみると、それぞれの人がそれぞれの緊張を抱えているのがなんとなく感じられる。仲が良い悪いはあまり関係ないように思う。声のトーン、話す速さ、手の上げ方、座る姿勢、そういったところにそれぞれの緊張があらわれている。

 

緊張というのは、自分自身で感じているかいないかは関係がない。むしろ、自分では感じられていない緊張の方が多い。気づいてしまうことで、より一層緊張してしまうために、無意識のうちに避けているのかもしれない。一方で、他人には思った以上に伝わっていることもある。

 

知らず知らずの緊張は、手の動きであるとか、体の動きにあらわれることが多い。誰かと2人で話していて、ふと目の前に置かれたコップに手を伸ばしたくなったり、首を回したくなったりする時がそうだ。目線を全く違う方向に向けることもある。自分がふと向けた視線に相手が反応して同じ方向を見ることがある。でもその先には何もないので、申し訳ない気持ちになる。その申し訳なさがまた次の緊張を生み出して・・・という悪循環に陥ることも多い。

 

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 上手くいかなかった、と感じるとき、その場その場で自分が感じている緊張感から逃げていることが多い。緊張から目を逸らすだけでなく、自分が感じていること、言いたいこと、聞きたいことに背を向けてしまっている。相手のことも無視してしまっている。そうなってしまうと、相手と会っている、話している意味もないように思う。

 

人と言葉を交わして、良かったと思えるときは、程よい緊張感がある。相手が何を話すか分からない、自分の言っていることが相手に伝わるか分からない、そういった本来当たり前であるはずの不安を捉え続けながら話したり、聞いたりしている。

 

S君が感じている緊張がどのようなものであるか、今度会ってみたときに聞いてみようと思う。