嘘
嘘に出会うことがある。人と話すとき、耳を通じて互いに言葉を交換しているが、相手が話す言葉より、語られていない方の言葉が伝わってくる時がある。表面的に発される言葉とは違うところに、話し手の意図や思惑が感じられる。人は本当に様々な嘘をついている。冷たく、
ある男の子と、
嘘をつくのは、人間だけなのではないだろうか。 ふとそんなことを思う。最近、 BBCが制作したドキュメンタリー「planet earth」シリーズを見ている。海、 砂漠、草原、洞窟・・・さまざまな環境を1回1回特集し、それぞ れで生きる動物が紹介されていく。自然のスケールの大きさ、 生存競争の厳しさ、緻密な生態系のバランス。抗いようのない、ごまかしようのない大きなリズムの中で生きる動物たちの姿に引き込まれる。番組を見終わって、言葉を交わしながら、 生きていくためにいくつもの小さな嘘を積み重ねる人間の在り 方を思った。
子どもと話していて出会う嘘に、心を動かされることがある。 友人、兄妹、教師、 様々な人間関係が子どもたちを取り巻いている。 それらの関係がいつも温かく優しいものとは限らない。初めて出会う社会に適応するための重要な技術が、嘘なのかもしれない。子どもの嘘には、ごまかしの向こうに真意が透けて見える素直さがある。同時にこれから先、長い時間をかけて出来上がっていくであろう硬直の兆しもある。あの男の子は、どこかで思い切って漫画に手を伸ばす日がくるかもしれない。タイミングを逃して生涯漫画に触れないかもしれない。今はまだ、どちらにも振れることのできる柔らかさがある。
様々な経験を積みながら、柔らかくあり続けることは難しい。 それは、 身も心も柔らかいと思っていた子どもでさえそうなのだ。 それでも、子どもの硬くも柔らかい嘘に触れると、人には このような可能性があるのだと教えられる。