p4c(=philosophy for children)スケッチ

p4c(=philosophy for children こどものための哲学)に取り組む「アトリエ はちみつ堂」の活動を通じて考えたことを記録していきます。

声の音

人が話すとき、声が違う、ということがある。電話口にでるときに 急に親の声が変わるのは慣れ親しんだ光景だ。


 

友だちと話しているときと先生と話しているとき、先輩と後輩が入り混じって話しているときもそうだ。先輩とは敬語 、後輩とはタメ口、と一瞬一瞬で器用に話し方を切り替えている。声のトーンもそれぞれ違っている。

 

たまに間違って、同意を示すつもりで、後輩に話すように先輩に向かって「そうやな」と言ってしまう失敗をする。小学生低学年くらいまでは、先生に対して「お母さん」 とか「お父さん」と言ってしまって恥ずかしい思いをした覚えがある。

 

そういう間違いが、大きくなるにつれて段々減っていくのは、少しずつ作法を学んでいくからだろう。最初にその作法を徹底的に学んだのは、中学校の部活動だった。単に敬語を使う、使わない、だけで はない。相手によって声のトーン、速さ、笑い方、そういう「 ある人を前にしたときの振る舞い方全て」を身に着けていく。

 

小学校、中学校の友人と会うと驚くのは、笑い方が変わっていることだ。きっと、自分の笑い方も変わっている。中学校の部活動ほどの変化はなくとも、それぞれが置かれた環境の中で新しい作法を学び続けているのだろう。

 

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言葉づかい、声の出し方、笑い方、そういう変化の向こう側に、その人の置かれた気持ちのありようが見えることがある。喜び、感動 、高揚、興味といった明るい場合もあれば、焦り、不安、緊張、怯え、そういう暗さを感じさせる場合もある。それに応じて、ぼくの ありようも変化してゆく。ぼくの側から相手に影響を与えていることもある。どちらか一方から一方へ、というよりは互いに影響を与 え合いながら変化する。

 

そうした変化が起こらないこともある。自分に閉じこもろうと必死になっている時がそうだ。ちょっとした変化の兆しを、無意識のうちに無視しながら会話を進めていく。自分の気持ちの変化だけではなく、相手の変化も一緒に無視してしまうので、一緒に時間を過ごせば過ごすほど、緊張と疲労がそれぞれの中に溜まっていく。ぼくの場合、どちらかというと日常のコミュニケーションは、緊張と疲労の連続で終わることが多い。

 


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緊張と疲労を繰り返し経験するうちに、人と話すことが億劫になる。疲れるくらいであれば、話さない方がよいし、 空でも見ながらぼーっとしているほうがよいと思うようになった。

 


無理に会わない、話さない、聞かない、笑わない。そうやって時間を過ごしているのは寂しいような気もするが、随分楽になったようにも思う。