p4c(=philosophy for children)スケッチ

p4c(=philosophy for children こどものための哲学)に取り組む「アトリエ はちみつ堂」の活動を通じて考えたことを記録していきます。

一言

月に2回、武道の稽古に通っている。稽古前に床にマットを敷く必要があるため、早くに来れる人で準備をしている。以前は準備から参加していたが、最近は準備に間に合わない日が多く、後ろめたさを感じていた。昨日の稽古では、いつもより早く道場に着いた。部屋に入ると、先生が一人で座っている。

挨拶をすると、先生は

 

「誰も来ないからどうしようかなと思ってたのよ」

 

と言った。その瞬間、先生を待たせてしまった申し訳なさと、これまで感じていた後ろめたさがオーバーラップして強く動揺した。動揺すると何か口にしなければいけないと思い込んでしまう。あるいは、場当たり的な言葉を口走る。昔からそうだった。

 

「すみません、用事があってなかなか早く来れなくて、、、すみません、、」

 

咄嗟に出てきた一言だった。先生は、気にしなくていいよ、とだけ言った。その後すぐに他の人が道場に入ってきて、準備作業が始まった。準備をしながら、発した一言への後悔をずっと引きずっていた。どうして自分はあんなことを言ったのだろうか。声は弱々しく、語尾は小さかった。言葉を発していながら、言葉を相手に聞き取って欲しくないと思う気持ちがそうさせたのだろう。


聞かれてもいない言い訳を口にする時がある。言い訳だけではない、言う必要のないことを並べ立ててしまう。謝罪や感謝や配慮、表面上は様々だ。しかし、「相手に悟られないよう、自分の疚しさをなかったことにしたい」と思う欲は共通している。自分が相手に及ぼしているであろう影響を想像し、自分の都合の良い方向に誘導したり、取り除こうとしている。

 

しかし、自分の行動や発言が他人に何らかの影響を及ぼすとき、その影響の判断は相手に委ねられている。許すかどうか、不快かどうか、喜ばしいかどうか、そもそも気にもとめないかもしれない。それらは僕が決めることではない。本人以外の人間が、本人の感じ方を誘導することは気持ちの良い行為ではない。自分の一言に含まれた欲の卑小さが感じられて、気分が落ち込んだ。

 

準備が終わり、稽古が始まる。二人一組になって技を掛け合ううちに、上半身、特に肩の周辺に詰まりが感じられる。技を掛けられるとき、自分に伝わってくる力の流れを感じて、受け身を取る直前まで相手とのつながりを保とうとする。型が体に馴染んでおらず、考えばかりが先行して体の動きがついてこない。先生から声がかかり、必死でついていこうとしているうちにあっという間に稽古が終わる。帰り道、道場に入ったときの感覚を思い出しながら、他にどんな言葉があっただろうかと考えながら帰り道を歩いた。