p4c(=philosophy for children)スケッチ

p4c(=philosophy for children こどものための哲学)に取り組む「アトリエ はちみつ堂」の活動を通じて考えたことを記録していきます。

rush

待ちに待った新刊、『子どもたちの未来を拓く 探求の対話「p4c」』(http://amzn.asia/bS9kgzJ)が届いた。宮城県白石市が、地域ぐるみでp4cに取り組む様子が描かれている。「p4cってなんだろう?」と思っている人にとって、p4cの成り立ちから実際の取り組み方まで広く知ることのできる素晴らしい内容になっている。

 

一方で、こうした本を読むしんどさもあるのだと知った。何ページが読み進めると、鳩尾のあたりに重苦しさを感じては本を閉じる。関心があるのに、見てはいけないような気になる。ふっと、よみがえる記憶があった。

 

:::::::

 

何年か前、絵描きの先輩が二人いた。二人とも、絵に対する情熱は並大抵ではなく、普段の付き合いからは底が見えなかった。

 

ある時、一人の先輩と画風の話になった。その人は、アフリカのある地域の絵に強く影響を受けていた。けれど、まだその地域に実際に行ったことはないと話していた。行ってみればいいじゃないですか、とぼくは軽く言った。それに対して、いや、それはそれで怖いもんだよ、と先輩は言った。

 

怖い、と言われてよく分からなかったぼくは、質問を重ねた。分かったのは、自分の今の画風に対して、現地の影響を強く受けていること。しかし、それだけではなく、物真似ではない自分なりの個性を見出していること。その個性をとても大切に思っていること。そして、その自分なりの個性を、アフリカに行くことで失ってしまうのではないかと思ってしまうと感じている、ということだった。

 

行きたい気もするけど、行きたくない。そんな思いが先輩にはあるのか、となんとなく納得した。

 

もう一人の先輩と会った時に、その話をした。同じ絵描き同士、共感できるだろうし、言葉を足してもらうことで、ぼくのなんとなくの納得がもう少し深まればいいと思った。けれど、その先輩はあっさりと言った。「そんな個性なら、つぶれちゃった方がいいんじゃないかな」、と。自分が影響を受けたものに実際に会って、すぐに自分が分からなくなるくらいなら、それは個性じゃないだろう、と先輩は考えていた。

 

予想していなかった言葉に、その人の絵に対する思いの強さ、厳しさに触れた気がした。軽々しく話題を振った自分が恥ずかしいと思った。他人の話をしているのに、どうしてぼくが恥ずかしくなるのだろう?軽々しい態度だけではないように思えた。心のうちを探ってみると、思ってもないことが分かる。

 

ぼくは、最初に聞いたエピソードの中に、自信を持てない自分の姿を勝手に見つけていた。自分には個性らしきものがある、と思いながらも、確信を持てない姿。そして、自分でも気づかずにいた。気づかずにいながら、そのエピソードを他人に話して、共感をもらう。間接的に自分への共感を集めようとしていたのだった。

 

ただただ、卑怯だった。自信を持つことができない他人のエピソードを利用して、結局は自己正当化したいだけだった。それも、自分自身については一切触れない形で。普段は穏やかな先輩の厳しい言葉に、自分の底の浅さを見透かされたような気になったのだ。だからこそ、恥ずかしいと思ったのだ。素直に自分の自信のなさを吐露できる人がいて、それすらできないぼくがいる。どうしようもなく、情けなくなった。

 

::::::

 

本を読みながら、鳩尾の当たりにある重苦しさから逃げ出したくなって、本を閉じたくなる。その時に、少し深呼吸をして、もう一度、本に目線を戻す。重さから逃げるのではなく、その重さを感じながら、声に出して文章を読み進める。読み進めていると、はるか先を歩く人たちの活力が伝わってくる。子どもたちの喜びと、それを見守る先生たちの暖かな気持ちが伝わってくる。

 

その感動と一緒に、すぐに自分を引き合いに出して、比べて、劣っているところを見つけて、落ち込もうとする自分が現れる。消えろといっても消えるものではない。これまでずっとそうやって生きてきたのだ。否定しようがない。否定したつもりでも、鳩尾の重苦しさは消えることはなく、もっと深いところで、さらに重さを増すだけだ。

 

最早、本を読んでいるのか、自意識と戦っているだけなのか、分からなくなってくる。そうやって読み進めていると、p4c hawaiiの中心人物であるトーマスジャクソンの言葉が目に留まる。現代において、私たちは「rush」(=急ぐこと、忙しさ、興奮)の中にある、と。

 

”打ちのめすような現実は次のようになっています。すなわち、事実上、私たち―親、教師、行政官、ビジネスマン、政治家、そしてますます多くの子どもたちを巻き込みながら―私たちは、ラッシュのうちに存在しています”

 

あぁそうだ。ぼくもまた、rushの中にいる。急いで何かを達成しなければならない、と思い込んでいる。その思い込みが焦りを生む。他人と比較する気持ちが生まれる。しかし、そうではないだろう。ゆったりとした時間の中で、各々が各々のペースで同じ方向に向かっている。他人のいいアイデアを聞いて、場合によっては活かすことができるだろう。反対に、ぼくから誰かがヒントを得るかもしれない。ぼくにはぼくの取り組み、誰かには誰かの取り組みがある。